子どもの頃、手を合わせるのは、何か“お願いごと”をする時だと思っていた。
お正月、お盆、他にもお寺やお墓に参ったとき。
けど、最近は、手を合わせれば合わせるほど、仏様方が身近になってきた。そこに、おじいちゃんやおばあちゃん、亡くなった方々がいるのを感じながら、日頃の感謝や報告を伝えるように。
いつもまずは、お礼から。
「いつも見守って頂きありがとうございます。おかげさまで、危ないかもと言われているお父さんも今日もなんとか生き、お母さんも健康で美味しいお酒も呑めて、ネコサンも私も、周りの大切なみんなも無事に生きることができました。今日も一日ボチボチがんばっていきます。どうぞお守りください。」
最後は想いを込めて、一念。

朝、高森牛を求めてススマのサンマートへ。
その帰り、萬福寺にも寄り、手を合わすことができた。はるか昔、修士の時の恩師が「人間はもともと祈る生き物なんだ」と言っていたけれど、確かにそうかも。
年々、お寺や仏壇やお墓や…万物の神々の宿るこの国の自然が本当に大切に思えてきて、上手く言えないけど、手を合わせるとその気持ちが益々崇高なものになって上へ上がっていくような。
すると、愛おしさ、みたいな感謝の念が自分の内側から沸々と湧き出てくるふしぎ(言っている意味、わかる人いるかな?)。
高森牛も無事ゲット。昨日道後温泉でお魚三昧したネコサンへのお土産!
福ちゃんにも会えて、25時間だったけどうれしい滞在になりました✨
かおりん



