ゴミにんげんのキモチ。

語る度、いつも考えてた。

 

 

 

 

自分のカラダの一部がとれるって、

どんな感覚だろう。

 

 

 

痛みはどれくらいで、

片耳しか聞こえないって、どういう感じで

人にそれをいうって…

どんなに怖いことなのか。

 

 

本番、自然と声がふるえた。

クライマックスで泣ける感情が“来る”ことはあっても、途中でこぼれそうになることはなかったのに。

 

 

耳の聞こえない

目の見えない世界を想像して。

 

 

最後、脳ミソがなくなって、記憶も自分も、目の前の大事な人に会えなくなることも。

 

 

わたしも、同じことができるかな

相手の大切なもの

守るために、脳ミソ(いのち)あげられる?

 

 

 

 

 

会場により

集まる人により

その時々のピアノにより

聞こえる音により、感じとる波動により

 

 

 

 

私の中の“プペル”は変わってく。

まるで、イキモノみたい。

 

 

ゴミ人間のきもちに、自然と心が透過され、恐怖が込み上げた。

語る度に、心がぐらつく場面も変わる。

一切、動かないときもある。

 

 

 

 

 

試写会より、練習より、リハーサルより、

11/24はわたし、

きっと、いちばん“ゴミ人間”だった。

 

最後、やさしいきもち、込み上げた。

 

 

かおりん

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