今晩は、めずらしく“赤”。
最近のお気に入りpuda。実はX’masバージョンもでている(今度はそっち飲みたい)。
衝撃とともに、思い出したのは、岡山の知人にも聞かれた。何気ない質問のこと。
◆よくある質問
「かおりんさんは、朗読の練習ってどこでしてるの?」。
🍎「え。…練習?」
🐼「そう。たとえばおうちとか。どこでしてるんですか?」
🍎「れんしゅう…」
🍎「考えてみると、“朗読の練習”というのは、ほぼしません。」
🐼「え」
🍎「声に出して読むというのは…」
唯一、音響合わせでタイミングを図るためとか、リハーサル時に時間を計ったり、プログラム通りやらねばならないときとか、くらい。
🐼「!」
🐼「マジですか」
🍎「特に、物語選びに究極に拘るようになった春からは…ほんとうにしてないかも」
🍎「あ。音楽を探しているとき、“ブツブツつぶやいたり”はします」
🐼「なぜ??」
🐼「本番、間違えたりしませんか」
🍎「…」
🍎「はい、ありました。5年間やってて、最近一、二度くらい。」
🐼「え!」
🍎「そもそも…」
◆いえ、なぜその物語かという話
🍎「…わたしにとって、選んだ物語は、自分の言葉で語るものだから、そもそも、練習する必要がないんです」
🐼「え?どゆことですか?」
🍎「どれもこれも、他の人が書いた文章だけれども、選んだ作品は、すべて、自分の言葉や心に落としこみます。」
🐼「落としこむ?」
🍎「そう。そうして、目の前のことばを心へ、できたものだけ声にします」
🍎「だから、【練習した通りに読む】となると…ちょっと違うんです。」
🐼「過去の感覚では読めない、ということ?」
🍎「そう、そうですね」
🍎「そのとき、今、その瞬間の感性でよむ」
🐼「感性…」
🍎「過去の練習ではなく、今の自分の感性にピントを合わせる。そんなイメージです」
🍎「(一般的にはよくないけれど)、たとえ間違えたとしても、物語の真意は伝わるように」
🍎「勘違いかもしれないけれど、わたし、そういう作品しか選んでないんです」
だから。
いちばん大切なのは、本番より、リハーサルより、そもそも、物語を見つけて音楽をあてがうときよりも…
私自身が、日々どんな風に生きているか。
🍎「誰と関わり、何を感じ、心をどう磨いているか」
🐼「朗読の練習はしない…」
🍎「はい。しません。」
🍎「わたしにとって、毎日の生活。それ自体がもはや“創作活動”なんです」
そう。
心震わす感覚や経験、大事な瞬間をどれだけ過ごせているか。
絵本ライブは、最もやりたい表現のひとつ。わたしの創作活動の大切なパーツ(かけら)だったこと。今、さきほど気がついたよという話。
かおりん
コメントを残す