【交流会ジャック】日本でタブーの死生観に対するスピーチをつい無茶ぶりした件。

 

だって聞きたかったから(笑)。

 

今宵はパソコンより。一昨日の姫路での交流会の件、呼ばれた側なのに、プログラム内容をほぼジャックするという…。そうそうなぜT君にスピーチ依頼したんだっけ。そこから打ってたら、大学院時代の話にさかのぼった。

 

お時間あるときにどうぞー。

 

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人の生きがい。それが私の修士論文のテーマだった。

人がよりよく生きるために必要なことは何か。きっとこの頃もずっと生きづらさを抱えていた。大学院の2年間、私は寝ても覚めても、早朝バイト中も、ずっとこのことを考えていた。

この頃は、異性への興味も薄れ「おい、誰かイイ人おらんのんか」と父に心配されるほど、勉強=恋人の勢いで、論文読むか、発表するか、自分が文章を書くか。明け暮れる生活。

大学院での研究に捧げた2年間、死生観や生き甲斐を追い続けた私にとって、最近になりこの人から聞いた“臨床宗教師”という言葉。記事を読むたびに、院生時代の友、日本のグリーフケア研究の立役者の坂下さんを思い出す。単純にもっと深く聞いてみたい。「ねぇ、パワポで発表できない?」、これが最初のスピーチを彼に無茶ぶりした経緯。

 

 

 

◆13時交流会スタート、まずそれぞれ近況報告から

・13:00 主催あいさつ

・13:10 参加者一人ずつ自己紹介など

國光さんから「ゲストにぜひ」と言われた今回の交流会。実は当日は、完全に企画自体を“ジャック”してしまうという運び。「もしよければ、最初のご挨拶の後の時間まるっと頂いても?」お知らせしたいことがあるんです、と言いだしたのが約2週間前。真ん中で注目されながら喋るのは得意じゃないけど、周りの人の魅力的な話はできればその価値を分かち合えたらと考えていた。

 

 

◆特に来てほしい人には「来て」or「来れない?」と連絡

ちなみに、この人は連絡せずとも、完全に来るねという人には逆に声はかけていない(笑)。2時間のプログラム構成を考え始めた1週間前、「あ。これは価値観を共有できる人たちにとっては、とてもいい時間になるな」そんな確信があった。

 

13:20~Tくんスピーチ「現在の死生観と臨床宗教師について」

 

『弔う』を人生のテーマに、会社員として仏壇を売る傍ら、医者がケアできない死に対する心の持ち方を説く宗教の必要性、それを真っ向から“物書き”として届けようとする姿。

「話すにしろ、書くにしろ、普段宗教とか死生観とかあまり考えないであろう(と勝手に決めつけている)人たちに、どの濃度で伝えれば伝わるか」

これはあとから届いた、ありがとうメッセージ中のことば。

それを毎日考えているというから…まぁ変態なのだけど、めっちゃ真面目で、めっちゃまっすぐ。日本ではこの手の話題はタブー傾向だけど、彼の等身大のことばに、皆、惹きつけられていった。あっという間の15分。

 

 

ライターネームは「とむらいマン」。

今、Web上の医学雑誌で取り上げられている。宗教系はどうしても反応がいまいちだといったけど、魚町のパスタ屋マスターもいったように(今日パスタ食べに行ったらしいよとむらいマン)「全人類のもんだい」。生と死に関係ない人間なんていないから、間違いない。

 

13:30~質疑応答、感想

・一般の人は“臨床宗教師”にはなれないのか

・臨床宗教師は宗教の種類枠はないが、明記の宗教者でなければならない

・丁度、家族で少し前に亡くなった身内の話と共にご先祖様の話をしたばかり

 

 

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無茶ぶりしてみるもん(笑)

 

水を得た魚のように、語ったTくん。物書きもいいけれど、カメラマンが各地で取材事情を講演するように、とむらいマンもしていけばいいのに、と思った。

 

あ!ちなみに同郷!山口県周南市、同い年だよー!びっくりじゃない?

 

この後の会は、またまた司会も無茶ぶりされたパートナーによる本番(本題のお知らせと近況へ)。朝、前日晩のギリギリまでの打ち合わせしたせいか、こちらも正直大変だったと思う。でも、本番に強いのな。これについては、書けたら書きますー。

そろそろ目が限界。またあしたー。

 

かおりん

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