【山口へ】余命半年と言われたら。

(注)自分たちのことではないよー!

 

##

 

 

 

「あと半年です。」

 

昨夜、眠る前のマンガの世界のはなし。午前様過ぎ、うとうとする意識と無意識の手前。じぶんなら、どんな風に過ごすかなと考えていた。

 

★今日はいざ山口へ★

 

 

やっぱり、それでも、

今日は実家に帰るだろうし、

モサイ髪は切りにいく。

 

 

飲みたい人には飲もうと、

相手が男でも女でも関係なく。

 

 

だれに何と言われようと

今、取り組んでいることは、

声が出る限りやるだろうし、

 

 

今後のこと、

関わるみんながもっとどうすれば上手くいくか

死ぬ間際まで、ずっと考えてると思う。

 

 

最後、病の床になれば、

管につなぐのはやめてくれと

ブログは意識が飛ぶ寸前まで

書き続けているはず。

 

 

 

食べたいときに

食べたいものを食べる。

 

 

 

好きなひとに

好きだよという。

 

 

ときどき、ネコの頭をなでる。

 

 

 

やりたいこと、最期まで。

 

 

 

つまり。

究極のところ

今とあんまり変わらないかもなーと。

 

 

余命を言われても、

言われなくても、したい暮らし

そのために妥協なく。

 

 

体力のつづくかぎりは

いまの「いいな」と思う毎日

更新しつづけたい。

 

 

 

■目標は必要か

人生において、それがないとダメなんじゃないかと思う人も多いけれど、必ずしもそうじゃない気がしてる。

あった方が“走りやすいひと”、“それに向かって走っている”自分が好きな人もいる。

今もってる、物やお金や地位や名誉や暮らし、そのステータスとか。

明日死ぬよ、と言われても、それは今日も守りたいものですか?(それなら本物かも)

実は。

人生においての“生存充足感”や”自分の存在価値”は、そんなのがなくても充分に感じることができる(と私自身は思っている)

 

 

 

暮らしたい今日

ときめく瞬間

今の心の声を大切に。

 

 

 

ついたーー

任務完了してきます!

 

 

かおりん

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