ミカンでいう、ブラック。
東京へいったとき、助言されたハズの件、懲りていない。それもショック。ミカンはどうやって黒く汚い自分の心も愛してあげたのだろう。
(私はこの件で、何人もの芸術家たちのジキルとハイドを思い出す。全く全然比べようもないが、今回の件で思い出したのはモーツァルト)
その件で、夜がくると、よく死にたくなる‥けど、今はもうそういうことも考えないようにしてる。そう思ってはいけないのだ。
◼まだ今も考えると不安定になる
死ぬとどうなるか。
先々月末、思い知らされることがあった。火葬場での若い骨、どうあがいても脳裏から消えない感覚。神様に「もし自分でやったらこうなるんやで」2018初っぱなはみせつけられる機会を得てしまう。
私は、これまで正直、死後のこと知ったこっちゃあるか!と、思って生きていたが、実際に“遺骨を取り上げる身”となったとき、とんでもないエネルギーを使うことを知った。むろん、お金も使う。
お世話になった方々への涙に対して、身内は、どれほどの気を遣うものか(誰も責められない)。私の脳裏に永遠にこっぴりつく、年の近い、若く綺麗な‥骸骨。
「人間の最後って、こうなるんだね」
知っていたつもりだった。
人が死ねばどうなるか。
人生において、そんなに度々会っていたわけではない。なのに、なんでだろう。
最初、じわっと流れた涙は、最後洪水のように溢れだし、鼻水は止まらない。我慢しても我慢しても、何度も何度もすすりなおし、火葬場で一番ぐちゃぐちゃになってしまった。小学生の時、もっと大好きなおじいちゃん二人無くしたときも、ここまでの涙は流れなかったのに。
◼ただ悲しい
喪失感はまるでない。なのに、悲しい。
おかしいくらい‥骨を見れない。年が近いからか、とにかくなんとも言われない。周りの年配者が、静かに音を立てずに泣くのもなんだか嫌だった。それが数人しかいないことも。なにもかもが、全て。このひとは一体なんのために生きたんだろうか。こんな最後のために生きたのか。
◼神社仏閣めぐりが趣味
そのあと、生前に、生き生きと書かれたblogをFacebookづてに見つけてしまう、読み漁った。神社仏閣を回る旅のレポート。軽く1000記事は越えている。趣味のトローンボーンやジャズサークルの話。もはやため息も出ない。なんでしんだのよあんた‥また疑問ばかり。
わからない。でも、この人にはこの人の幸せがあって、だから、ここに言葉を綴ったはず。

誰にでも、闇があり、光がある。
◼むやみに「死にたい」と思わない
遺書を読むと、心の闇があった。
地区長さんたちから聞いた明るいイメージとうらはら、親戚たちのもつイメージともちがう、きっと本人しか知らない心のブラック。それが、死んでから他人へ伝わり、身内も他人も‥行き場のない気持ちを抱えた。
◼居酒屋のおじちゃん
「くそ!なんで死んだんや!」
「助けて!て一言いいにこいよ!‥生きてたら、なんでもしたったやんか!」
生きてたら‥。
一人、火葬場で泣きながら叫んだひとがいた。生前によく飲みにいっていた居酒屋のマスター。ヒロくんの姿が見えないと警察にいってくれ、見つけてくれたひと。

できることしかできない
◼孤独だったのか
死んでからの「できる」より、生きてるうちに自分も周りも「できる」をやりたい、やってあげたい。なんとなく自然とそう思った。これは彼からの‥きっと神様からのメッセージ。
ヒロくんは
心の闇、愛せなかったんだろうか。
かおりん
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