疑問解明。深夜2時、長い長いひとりごと。

そうそう。

◆大きな疑問にぶち当たる

それで、気づいたんだけどね。そもそもわたしはなんで語りたいものもないくせに、「語りたい」というんだろう?とここ最近ずっと思ってたの。

題材探しなんてしてる時点でおかしいわけです。広島の原爆の語りべさんも、震災の語りべさんも、自分が語らなきゃという【内容】やもはや【使命感】があって語ってるのねきっと。

もしくは、絵本の世界だと、絵本作家さんやその絵本の世界に魅せられて「これを語りたい」となるわけです。もっとみんなにこの絵本を知ってほしい!と純粋に思ったりして。

新衣装選びも検討中。

◆ところが、ワタシはその一切がなし

37歳目前。

この前も、図書館で幼児向けの絵本を探しているとき、あれ?となったのね。かおりんごや絵本ライブの認知のためと言いながら、わたしは一体ここで何をやってるんだろうと。しかも…リンゴかぶって。

◆私の目的は「語りたい」ではなかった

それで、ぐるぐる考えて、もうブログにもこのこと書いたつもりでいたけど、あぁそうじゃなかったんだと。さっき気づいて、今ここに書くまでに、何度も書いては妄想更新していたんだけど…

わたしは、「語りたい人」ではなくて、「一緒に味わいたい人」だったのね。何をかっていうと、物語や語られる雰囲気、音楽、その空間自体を。

◆だから、“空間選び”が大事

途中でね。おかしいな、て思ったの。

とりわけ、プペル作品に取り組むとき。わたしはなんであそこまで“音作り”にこだわるんだろうと。自分が自分で分からないときがあった。やり直しすぎるし、マイク一本選べない。音響チェックも一体何回やらすんだ!て、みんな思ってたと思うし、待たせる時間もたくさんあった。

音は伝達者であり、空間をつくる大事な構成要素

でも、それでも、ワタシにとっては待たせても、なにしても、大事だった。最終、いくら良い話を語っても、音そのものが違えば、届けたいカタチじゃなくなる。最悪、バランスが悪いと、“ノイズ”と認識されてしまうこともある。

音だけじゃない。

明るさ、暗さ、聴くときの心地よさ。そして、作品そのものが“生きる”場所はどこか?完成度100%でできたとして、メッセージが最も届きやすいところ。

絵の構想、音楽、弾き手、語り手、物語の内容と。それら全てを考えた場合、一番最適で味わえる場所はどこか。そういう思考だった。

でも、もしかすると、ここ最近は【題材ありき】で考えすぎてたかもしれない。だから、ホールホールて。

プペル作品の完成に夢中になるがあまり、いつしか自分はホールで演りたいひとだ!と勘違いしてたけど、そうじゃない。元々語りたいジャンルや、それを通して見てみたい世界があったこと。ようやく思い出した。

だから、まぁ、書き出したり、振り替えったりするって、大事だ。

わたし、実は、心から語りたいものなんて何もない。ここが原点。

ただ、世の中にいい作品はみち溢れていて、めったと感動しないワタシでさえ、じーんと来たり励まされたり。そんなキモチになったとき、純粋に【届けたい】て思うようになった。

◆振り返って思うこと

20代までは、人のために役立っていないと不安でしょうがない自分がいた。私が行動起こす理由は、いつも“ひとのため”。じゃないと、存在自体が無意味な気がしていた。

大学で、教育や哲学や語学から人間の根本を学んで、なぜそうなのかもだいたい突きとめたと思う。でも、これまで作ってしまった健在意識は早々に変えられないし、元々あった潜在意識も変えることはできない。

◆30代で初めて見つけた“やりたい”キモチ

でも、30代前半で見つけた絵本ライブ。それは、表現のおもしろさを教えてくれ、単純に楽しかった。憧れていた音楽の世界とのコラボレーション。

訓練で鍛えた“書く”と違い、“声で発する”は私にとって無理しなくてもできること。生まれて初めて【やりたい】と思った。

決して、語りが目的じゃない。

語ることはただのツールで、その先に観てみたい世界がある。今、私の中だけにある世界を外に出したらどうなるか。いっしょに見る人は一体何を感じるのか。

もとより、音楽にもっと没頭して、その世界に声を乗せてみたい…というのは、最近出てきた野望かも。

そのための空間、そのための環境、そのための必要なこと。どうせ生きてるなら、全うしたい。やりきって死にたい。

そういうきもち、あ、夜中だけど、酔ってないよ。現在深夜3時。今日は数時間後に、姫路、そして大阪へ向かいます。

かおりん

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