なので、あんまり真剣に読まないでね(ФωФ)
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こう考えると、わたしは完全に“イメージ優先型”。
これまで何かの集まりや会議などで会った人たちには、合理主義+論理的思考型に思われがちだったけれど、それは訓練のたまもの。
基本的には、今でも順序立てて考えるのは苦手だし、普段は妄想の世界とともに生きている。
だから、こういう作品に惹かれるのかな。
ファンタジーの中にある真理。
この世でたった一人の人は、実はひとりじゃなくて。世の中にある多くの内の一つにすぎないこと。
でも、ところが。
自分にとって、癒してくれるひとや愛したいひとは、誰でもいいわけじゃないんだよね。
■しあわせに直結する相手
だれといたら幸せ?
を考えるより、もしかすると【今、失うと最大級に悲しい存在】を考える方が早いかもしれない。
悲しいというより、失うことで自分の日常が保てなくなるほどのひとやモノ、今、ありますか。
恋人?子ども?親?家族?それとも別の存在や趣味やライフワーク?
それがあるなら、今はとても幸せだろうし、過去が浮かんで来たなら、失っているかもしれない。
悲しいのは、今幸せだというひとも、それを失うときは必ず来るから、最大の幸せを持っているということは、同時に最大の不幸せも持っているということ。
「めんどうみた相手にはいつまでも責任がともなうんだ」
めんどうをみる、というのは、愛するということ。自分のいのちの時間をかけて費やしたものにこそ、人はとてつもない“執着心”をおぼえる。
でも、この物語のすごさは、そこを越える世界を見せてくれるということ。
わたしはそこを“語りたい”。大切な存在が、たとえ目の前から消えたとしても、重要なのはそこじゃないんだ。
かおりん
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