全然、関係ないはなし。
岡山でも、山口でも、どこでも。
最近、人の悩みをきいてると、なにか、みんな、余裕だなぁと思ってしまう(ことが多い)。

家族でも、恋人でも、友だちでも。
この日常が、ずっと続くと思っているからかな。だから、そういう風に考えられるのかな。
それ、きいてて、逆にギモンいっぱいになったり。

だから、わたし、岡山とか。離れる前は、いつも切なくなって…なかなか玄関出られなかったり。
1秒でも長くハグしたり。
それが、遠出でも、日常でもおんなじで。
ネコのことでいうなら、毎日の出勤、日中、ときどき入る連絡に「あぁ、まだちゃんと生きてるな」とか「死なないで」と思ってしまう。

いや、そんなに、考えすぎとは、正直思ってなくて。
どちらかというと、一般のひとの危機感の方が低すぎじゃないかな?(そんな中で生きてるから、突然の喪失にビックリする)て。
山口帰ってくるのは、その意識軸が根底にあるから。
あと、わたし、ネコの運転が長いときは、とくに不安になる。
TEL切る前には、いつも、事故りませんように事故りませんように。ずっと祈ってしまう。

どうして思えるの?
▪️ただ居てくれてることって、けっこう偉大
人はいつでも、どうにでもなるもの。
目の前の人も、いつだって、消えるよ。
たとえ、近くにいれなくても存在してる、とか。ましてや、毎日そばに居る、とか。けっこうすごい。
それ、実は、めちゃくそ【キセキ的】。
色んなタイミングや環境的条件がそろってて“今”ただいっしょにいるだけ。
明日もそうとは限らないよね?

しかも、明日、この世からいなくなる人は確実にいて。年とか関係なしに。
それが、自分や、自分の大切なひとにあたらない、とも限らないじゃない?
だから、いっしょにいられると、単純に、それだけでうれしくなる。

おのずと、“感謝”だって、生まれてくる。
ネコの森での暮らしも、実はとても尊いこと。距離や時間が離れる度、大切さ感じつつ。
なんでかな?
誕生日越えて、今日はふつふつ。こんな明け方日記になってしまった。
(そういえば。いつも、かおりんから何処かへ行くやん!と言われるけれども(*_*))
かおりん
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