バナナバナナフラペチーノのあと。
二ヶ月半ぶり、画面越しの再会。
病院での面会時間は約10分。
玄関入ってすぐ受けつけ横に小さなブースが設置され、iPadぐらいのタブレット有り、そこに腰掛けた。
行く前、とてもsensitiveな状態。言葉にできないようなものすごく複雑な気持ち。会いたい、会いたくない。もはや会うこと自体こわい。
関係ないけど、ここ数ヶ月、毎日?数年前の写真が勝手にアルバム化され送られてくるGoogleフォトに打ちのめされる瞬間が続いていた。
ここ数年費やした時間、労力、感情。
どの写真にも何処かに父が写っていて、よく笑っているもの。ここ数年で家を離れる度、何度ネコを説得したか分からない。でも、もらった分の愛情くらいは返したかった。

もう私が誰かもわからなくなっているのでは?会う前から、ここでも、たった10分に打ちのめされる気がした。
でも、意外に長く感じてしまう。
心のバリア張りすぎていたせいか、画面越しの瞬間は、冷静にみようとする自分がいた。
•元気か食べてる?等、簡単な受け答えOK
•意思疎通、会話、最小限まだできる
•視覚、眼鏡有りならタブレットでも認識可
•聴覚、相変わらず耳は良いが語彙が難しくなると何を言われているか分からない
•地名の認識や距離感、殆ど分からなくなってる
•身内の名前、身近な名称、反応あり
•「みなみ」は出たが私の名前は出ず

今回は、自分から名乗らないことは決めていた。
私とは数ヶ月ぶり。
誰かわかるのか?名前は出てくるのか。そこから確かめたかった。後半、私に代わって、妹が喋ってくれる中「ねえちゃんも岡山から帰ってきたんだよ!」。
そのフレーズを聞くも岡山という単語にはピンとこず。“ねえちゃん”という言葉は分かったよう。自分からも私をさす言葉には“ねえちゃん”が使われた。
そういう、
一個一個を確認する脳内作業がつづき細部まで凝らし、感じ、分析に集中したせいか、母と妹の前情報の“あっという間”とは程遠い時間だった。

直後も、自分自身の感情としては、なんといっていいか分からない。
でも、蓋をしていたいし、それが安易な気持ちならふれられたくもない。これは誰にも悟られてはいけないと思った(が、このあと別話題で自分の落ち度を自覚することになる。人間のコミュニケーションは難しい)。
生きながらの喪失感。
父は今はまだ生きているけど、ここ数年、いや病気が発覚してから9年の間に徐々に悪くなってきて、今も刻々と、私の知っている父はどんどんいなくなっていく。

腕っぷしが強く、頭の回転早く、人情味あつく。
なんと言っても煽れんばかりの愛情で家族を大切にするひと(病気になってから、母の記憶にもどんどん悪い方へ塗り替えられていくのが悲しい)。
もうこれは周りがどうしようも手立てできるものじゃなく本人自身の問題だと、覚悟して決めた最近。ようやく少し楽になった。
私ができないからといって、私の問題じゃないんだと。病気も含めて、父、その人の人生で、父が負うべきもの。その責任は全て本人にある。
でも、そんな当たり前のことに気づくのに何年もかかった。恥ずかしいとか苦しいとか関わりたくない見たくないとか、様々な感情の経過も越えて、今は変化(退化)の過程をできる限りの環境で見守っていきたい。

それでも。
それだけ覚悟を決めているのに、やっぱり会うと複雑なきもち。
10分が終わり、病院から出ると、どっと疲れた。この同じことを25年先にできるか?と聞かれたら、…答えがたい。
年齢を思うと、母の疲労はよほどと思う。
ネコ父さまが言ってくれたように、近所のご夫妻が教えてくれたように、この件でいちばん誰を尊重しないといけないかを履き違えないように。
娘としてのきもち。それは一人のとき、または岡山で消化していけばいい。
今日も息するかのごとく言葉へ。今の気持ち、ココに備忘録として。
かおりん
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