だからなのか。
分からないけれど。
今は、“そういう一冊”を手にとってしまう。
でも、同時に葛藤もあって。
探していると気づく。
やっぱり自分は単純に【絵本】が読みたいんじゃないなとか。
ふつうに読み聞かせしたいなら、
語り手はたくさんいてて、
それは、私じゃなくてもいいわけで。
🍎ライブには【絵】と【ことば】があるものが確かに必要、でもそれは、既製の【絵本】という世界にとらわれたものとは思ってなくて。
・ことば
・絵、イラスト
・音楽
それをつなぐのは、軸にある“メッセージ”。
今は、それを既製の作品の中から探してるイメージ(でも見つからないから困っているんだけど)
いくら本屋や図書館に行ったって、何冊手にとっても「これ!」というのがなかなか。
自分の頭とぴったりのもの。
読んだ端から、5分後には、その話で終われず、頭の中で、勝手にその話に加算して、話を組み立ててしまったり。
(そうなったら、普通の“読み聞かせ”ではなくなって。いや、そもそもいけないことで)
たぶん、これ、“ノダメ”。
人の楽曲をなんとなく弾きながら、あれれと。練習では、いつのまにか自分の作曲も加えてしまい、演奏は独創的だけど、正式や公式になれず、評価とかの対象外。
人の心が動くのは、“正しさ”の枠を飛び越えて響いたとき。見たことのないものに触れたときとか。
…でも、決してルール違反したいわけでもない。
こうなってくると。
🍎の行き着くところは、構成自体を、自分でつくるか、たとえば単独ライブのプログラムのうち1箇所だけは既製の【話】をいれるか。
迫ってる。
これも、2週間後。
わたしは一体
どんな世界を作りたいのか。
かおりん
コメントを残す