久々に外へ出たら…。
ここ数日で一体何人に言われたか。
気がついたのは、過去を語るときも、未来を語ってもその印象は変わらないと。
「今は目標や夢もなくなった。ただ生きてる」というと、なんか感づく相手。それは、やっぱり、すごく楽なことで。
今日、最後話したのは年齢20才くらい上のかた。愛する人と二度と会えなくなった瞬間のこと。
「ちょうど10年前かな」
「3年くらいは全然笑えなくてね」
「でも…いまでも時々夢に出てきてくれる」

なんでかな?
わたし、そういう方に会う機会も多くてね。「うんうんそうですね。きっと今もそばにいますね」話はスッと入ってきて。←そばにいる、というのは、本当にあることなんだよ。
「だからね、明日もぜったい一緒にいれるなんて。…ないんだよ。今を大事に、本当に一緒にいれる瞬間を大事にしないとね。」
無言でアイコンタクト。
さんざん、ブッ飛んでる!ていっといて、なんだよそのマジ話。会ってちょっと。寄せられた眼差し。なんか酔った。今も酔いつづけてる。赤ワインのせいか、さっきの瞬間、そのせいなのか。
たぶん、私は誰よりよくわかっていて。だから、ここまで生と死と教育に、論文皮切り、10年以上。後悔ない生き方に必死になっている。
カントさえ語れない哲学の世界がある、きっと知ってる。
ひとりごと。
おわり。
かおりん
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