語り方の違い。この感覚をどこに置いてきたのか。

絵本から小説に読み替えたところで気がついた。

いつから、わたし、こんなに、どの本も、一生懸命読むようになったんだろう。一生懸命語りたいクセ?

前はもっと“あそび”があった。今は、なんか自分の話みたいに読もうとしてしまう。

2/10空中分解した原因を追及していくと、根本問題にぶち当たる。頭が痛くなる、そもそもリンゴの語りを思い出してみることにした。

■子どもが一番のお手本

まるで、傍観者のように。感情はできるだけ抜いた淡々とした語り。

リンゴのお手本は、あまり上手といえない小学生。幼い子どもが、何の他意もなく、素直に言葉をつなげていくかんじ。

大人が役作りをした語りは、どうしても抵抗があって「上手ですね」「がんばってますね」といってほしいんだろうな…この人たち。みたいな余計な感情が発生して、わたし自身、物語に集中しづらかったから。

■ストーリーとの距離感

語るとき、基本、出てくる主人公になることも、ナレーターになりきることもなく。最初から最後まで、ストーリーとはある一定の距離感を保つ。近すぎず、遠すぎず。

■感情を込めるのはここぞというところだけ

淡々と読む。でも、そう読んでいても、思わず、感情がこぼれる。どの絵本にも、たまにそんなシーンがある。それに素直に流されてみる。

わたしは、この感覚を一体どこに置いてきたのか。

かおりん

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