たぶん、“スイッチ”が入っていた。
気づくと、最後の最後まで、いっしょに遊びまくっていたのは、他でもないワタシ。
子どもが好きとか、キライとか。
そういうんではなく、教師だった頃の感覚を懐かしくも取り戻していく、かんじ。
子ども=未知数=大人よりinterestingかもしれない、という捉え方。
返ってくる反応により、子どもの知性や賢さを感じると“この子の良さをもっと引き出すにはどうしたらいいか”と、関わり方を探求してしまう癖。
最初は、おみやげのきびだんごを、ビックリ箱みたく、驚かすところから始まり…
叔母の家についてからは、今日来たばっかり!という“しまじろうのレジ”で、定員とお客さんごっこ。「ポイントカードありませんか?」と瑠乃ちゃん。じゅんきの子どもだけど、とても反応がはやく、賢かった。
最後、車にのってもまだ「かおりおねえちゃん!」「かおりちゃん!また遊ぼうね」「また来るから遊んでね!」何度も何度も手を差し出してきて
🍎「瑠乃ちゃん、大丈夫」
🍎「また待ってるからね」
ぎゅっとにぎる。最後は、まるで、ともだちにでも伝えるように。小さな手と指切り。
あぁ、そっか。わたしは、結局、大人でも子どもでも関わり方は、基本的に変わらないのかもしれない。
【子ども扱いしない】【ひとりの個人として接する】。たとえいくつであっても。教員時代の自分のポリシーを思い出した。
かおりん
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