ありがとう、こんにちは。日本人の自覚のはなし。

肉じゃがが好きだ。

ときどき外に出ると、何が好きで、何がダメかを再自覚する。

 

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飛び立つ前、最低限の英語は理解できなくちゃ。今回は個人旅行だし、病気もちのお父さんもいっしょだし(何があるかわからないし)。

と、変な責任感をもやして、リトルチャロをみまくっていた私だけど、来てみると、下記のような思いがふつふつと沸き上がってきたのでした。

 

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日本人の自覚。

思えば、わたしは、国内でも、海外でも、できるだけ外国人相手でも、お礼など、日本語が言える場面は日本語を使うようにしている。

 

ありがとう!

こんにちはー!

よろしくー!

 

これは、日本語を知らない外国人でも、雰囲気と表情とシチュエーションでなんとなく伝わるもの。そもそも、私たちは日本人なんだし、人に話しかけるときもベース日本語でいいんじゃないか?

数年前から強くそう思うようになった。

 

★バンクーバーのお店にも「こんにちはー」といって入るよ★

 

これは、初めてカナダに渡航してから、あらゆる国へも行き、約5~10年の間をかけて、じわじわと自分の中で生まれてきたキモチ。

だいたい‥

 

 

これ、昨日も話題になったのです。

外人=英語喋る、という誤った認識。

日本人は白人をみると、すぐに、=アメリカ人と思う人も多く、英語で受け答えするのが当然のように思ってしまいがち。でも、現状はそんなことなかったりします。

 

◼その親切心は本当に“親切”か

フランス語やイタリア語が第一言語の人にはいい迷惑だし、特に日本に来る外国人は日本語を楽しみたい(向こうからすると、私たちが日本語のネイティブ)人もいるんです、私たちが英語で話してみたいように。

◼日本人あるある!懸念される話

実は、この話は、外国人の間では「あぁ、日本人てそうだよね」「やたら英語を喋りたがるよね」というくらい、けっこうメジャーな話。ほんと、知らなかったら恥ずかしい。

 

◼自分自身も気をつけよう

と思いつつ‥。

わたしは、それよりも、日本人は日本人の自覚をもっともっていいと思っていて、できれば、どこでもまず自国のことばを使っていきたい派です。

 

◼究極、言葉が通じなくても、思いは届く

それを強く感じたのは、20代後半、ベルギーやオランダにいったときです。

鉄道横断しながら下っているとき、英語があまり通じない地域もあること、行くまで知らず、ベルギーでバスに乗ったとき、隣のおじちゃんがよもや何語を話しているかさえ分からず‥とにもかくにも笑顔と日本語と身ぶり手振りジェスチャーで乗りきったとき。

🍎「‥あれ‥なんや‥なんか言ってることもなんとなくわかるきがする」

いや、途中、おじちゃんが言ってる細かなことは、もちろん分からなかったけれど、それでも、日本人とわかると、すごく好意をもってくれたこと、雰囲気や態度や声のトーンでわかったし、そのあと、道端ですれ違った少年ギャングたちは‥逆もしかりだし。

そもそも、外国人が自国の言葉を喋るのは当たり前だと思うのです。もしも、それで困って道を尋ねてきたとして「なんで、おまえは日本語で話しかけてこねーんだ!」となる?いや、殆どのひとは、身ぶり手振りで教えようとするんじゃないのかな。

 

◼意思伝達や情報伝達が必要なときは、お互いによい言語を選ぶ

それが英語なら英語、日本語なら日本語

でも、個人的には、日本人は、もっともっと自国のことばに誇りをもっていけばいいんじゃないか。ありがとう!は、どこの国いっても、ありがとう!でいいんじゃないか。そう思うのです。

スペイン人が日本に来たとして、お礼のとき「グラシャス!」というのは普通じゃないでしょうか。

スムーズな意志疎通や情報伝達が必要で、もしも相手が英語で話しかけてきて、英語を求めていそうなら‥片言でもがんばってみる!旅行時の会話なんて、それくらいのキモチでもいいんじゃないのか。

いろいろ思ったこと。

悶々していたから、ちょっとアウトプットしてみた。ご参考までに。

 

かおりん

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