いつも思うんだ。
本当に、本当に、“いつも絶妙なバランス”の上に生きているなぁと。

塩ひとふり
酒ひとかけ
全然違う味になるよね?

◼意気投合できる相手とは、自分と人生のタイミングが合ったひと
たとえば、会いたいひと。
おもいきって会いに行ったとして
喋って意気投合することってあるじゃない?
でもこれ。実は、偶然じゃないよ。
たとえば、私とミカン。もともと性格もやりたいことも全く違う。多分100回会ったら、99回は「(お互いに)NO( `Д´)/」一昨年、奇跡的なタイミングで、お互いの能力を使って企画を次々やることに。なぜか今も二人っきりの打ち合わせはギコチナイ

◼居心地のよい場所の決め手は、気候や風土とか環境だけじゃない
四年間暮らしていた姫路。ここはほぼ人とのつながりで、土地にこだわりたい私がいる。もともと交わることのなかった場所、たまたまの転勤で、たまたま見つけた「これ私にぴったり!」そんな仕事に出会ってみんなに出会った。
◼私の経験のこと、仲良くなるのは難癖ありの強者ばかり
きっと話すタイミングを一つ間違えば、あまり心開かなそう。そんなひとばかりだった。もともと“群れる”や“組織”が苦手。何かするにしても、来てくれるようになるまで、随分時間がかかった。
今となれば、そういう職人肌が集まったときの一致団結感はものすごい。なにより、相手のテリトリーを侵さず、人の個も自分の個もちゃんと尊重できる。安心して関われる。私自身もだからまた何か企画しようかなと思えるのかも。

最近は変なウサギ人間も。
(ちょっと自慢できるほど)、
とてもいいひとたちばかりだよ。

でも、わかってる。

すごく。
これはものすごく絶妙なバランス。
その橋を、今も渡りつづけていること。

「ふつうに生きたいなら、体裁通りに生きなさい」
「芸術家になりたいなら、どんな経験もしていきなさい」

どっち?
音楽活動したい
物書きになりたい
プロデューサー業したい
学校つくりたい
リンゴで暮らしたい
実際は、きっと普通の人にも芸術家にもならない。中途半端に生きてゆく。止められないことを私の心に従ってやる。ただそれだけだ。

笑う。
どんなときも、まず笑おう。
◼人生ケセラセラ
ときどき崩れそうな精神と、無情にも優しくも来てくれる毎日のバランスのなかで、とにもかくにも一呼吸。ほっとして、ふー。人生はケセラセラ。寂聴さんいうよう、なるようにしかならないんだ。
かおりん
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